【タイの田舎の小さな家から】タイの有名なお寺を30日で学ぶ Day 4|バンコク遷都と新しい寺院の時代

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Day 4|バンコク遷都と新しい寺院の時代

〜なぜ新しい都には、これほど豪華なお寺が必要だったのか〜

アユタヤの廃墟を見たあとに、
バンコクの寺院を訪れると、
多くの人がこう感じます。

「金ピカすぎない?」
「どうして、こんなに豪華なの?」

でもそれは、
単なる贅沢や見栄ではありません。

そこには、
国が一度“滅びた”あとにしか生まれない、
切実な理由がありました。


すべての始まりは「国の崩壊」

1767年、
アユタヤ王朝は戦争によって完全に崩壊します。

この状態は、
「政権交代」ではなく、
国家そのものが消滅した状態でした。


新しい都に必要だったもの

新しい王朝が国を再建するために、
最初に必要だったのは何でしょうか?

答えは、

「この国は、もう一度立ち上がった」
という象徴

それを一目で示す存在が、
寺院だったのです。


バンコク遷都とラーマ1世

1782年、
ラーマ1世はチャオプラヤー川沿いに
新しい都を築きます。

それが、
現在の バンコク(ラタナコーシン)

彼が最初に行った重要な仕事が、

でした。


豪華なお寺は「国の宣言」

バンコクの寺院は、
これまでとは意味が違います。

① 国家復活の宣言

黄金に輝く仏塔、
精巧な装飾、
巨大な仏像。

それは、

「この国は滅んでいない」
「仏教と王権はここにある」

という、
無言の宣言でした。


② 王の正統性を示すため

新しい王は、
「正しい王」であることを
示さなければなりません。

そのために、

こうして、
王=仏教の守護者
という構図が再び作られました。


ワット・プラケオの特別な意味

その象徴が
**ワット・プラケオ(エメラルド寺院)**です。

これは寺というより、

「国家そのもの」

と言っても過言ではありません。


なぜバンコクの寺は「きらびやか」なのか?

アユタヤの寺が
石とレンガの重厚さなら、

バンコクの寺は
金・ガラス・色彩

理由は、

バンコクの寺は、
未来を向いて作られた寺院だったのです。


寺院は人々の心の避難所だった

戦争を経験した人々にとって、
寺は心の拠り所でもありました。

豪華さは、
人々の不安を打ち消す
希望の色でもあったのです。


Day4のまとめ

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