
Day 2|なぜお寺は王様と深く結びついたのか?
〜タイの歴史と仏教の切っても切れない関係〜
タイを歩いていると、
立派なお寺の名前に必ず出てくる言葉があります。
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「王室寺院」
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「ラーマ○世建立」
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「国王ゆかりの寺」
なぜタイでは、
お寺と王様がここまで深く結びついているのでしょうか?
その答えは、
タイの「国の作り方」そのものにあります。
王様は「ただの政治家」ではなかった
昔のタイでは、
王様は単なる支配者ではありませんでした。
タイ王の理想像
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国を治める存在
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人々を守る存在
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そして
徳を積んだ仏教徒の模範
つまり、
「徳の高い王こそが、国を安定させる」
という考え方です。
この思想の中心にあったのが
仏教でした。
「徳のある王」はどうやって証明する?
ここで疑問が出てきます。
「この王様は、本当に立派なの?」
その答えを示す方法が、
お寺を建てること
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立派な寺院を建立する
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僧侶を保護する
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仏教を広める
これはすべて、
王が徳を積んでいる証拠でした。
だからこそ、
新しい王朝が始まると、
必ず大きなお寺が建てられたのです。
アユタヤ王朝と寺院の関係
アユタヤ王朝(14〜18世紀)は、
タイ仏教が最も発展した時代のひとつです。
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王専用の寺院
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王族だけが使う仏塔
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国家行事の舞台としてのお寺
お寺は、
宗教施設+国家の象徴でした。
そのため、
戦争で都市が破壊されると、
真っ先に狙われたのも寺院でした。
バンコク建都と「王室寺院」
1767年、アユタヤは戦争で崩壊します。
その後、新しい都として選ばれたのが
バンコクです。
初代王ラーマ1世は、
都を作ると同時に、
国家の中心となる寺を作りました。
それが、
ワット・プラケオ(エメラルド寺院)
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王宮の中にある特別な寺
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国家の守護仏を安置
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王の正統性を示す存在
ここから、
「王宮+寺院=国家の中心」
という構図が確立されます。
国王は今も仏教の守護者
現代のタイでも、
この関係は変わっていません。
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国王は仏教徒であることが前提
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出家経験を持つ国王も多い
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仏教行事は国家行事
憲法上も、
国王は仏教の保護者とされています。
だからタイでは、
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王様を敬うこと
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仏教を敬うこと
この2つは、
ほぼ同じ意味を持つのです。
なぜタイでは王室批判が厳しいのか?
ここで少し現代的な話。
タイで王室への批判が非常に慎重なのは、
単なる政治的理由だけではありません。
王室=
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国の歴史
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仏教
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国民の精神的支柱
これらが
ひとつに結びついているからです。
Day2のまとめ
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Tensui-
タイの王は「徳のある仏教徒」が理想
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お寺は王の徳と正統性を示す存在
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王朝交代と寺院建立はセット
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現代でも
王室と仏教の関係は続いている
次回 Day 3 は
「アユタヤ王朝と寺院文化」。
なぜあれほど多くの寺が建てられ、
なぜ廃墟として残ったのかを解説します。 -