【タイの田舎の小さな家から】タイの有名なお寺を30日で学ぶ Day 2|なぜお寺は王様と深く結びついたのか?

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Day 2|なぜお寺は王様と深く結びついたのか?

〜タイの歴史と仏教の切っても切れない関係〜

タイを歩いていると、
立派なお寺の名前に必ず出てくる言葉があります。

なぜタイでは、
お寺と王様がここまで深く結びついているのでしょうか?

その答えは、
タイの「国の作り方」そのものにあります。


王様は「ただの政治家」ではなかった

昔のタイでは、
王様は単なる支配者ではありませんでした。

タイ王の理想像

つまり、

「徳の高い王こそが、国を安定させる」

という考え方です。

この思想の中心にあったのが
仏教でした。


「徳のある王」はどうやって証明する?

ここで疑問が出てきます。

「この王様は、本当に立派なの?」

その答えを示す方法が、

お寺を建てること

これはすべて、
王が徳を積んでいる証拠でした。

だからこそ、
新しい王朝が始まると、
必ず大きなお寺が建てられたのです。


アユタヤ王朝と寺院の関係

アユタヤ王朝(14〜18世紀)は、
タイ仏教が最も発展した時代のひとつです。

お寺は、
宗教施設+国家の象徴でした。

そのため、
戦争で都市が破壊されると、
真っ先に狙われたのも寺院でした。


バンコク建都と「王室寺院」

1767年、アユタヤは戦争で崩壊します。
その後、新しい都として選ばれたのが
バンコクです。

初代王ラーマ1世は、
都を作ると同時に、
国家の中心となる寺を作りました。

それが、

ワット・プラケオ(エメラルド寺院)

ここから、

「王宮+寺院=国家の中心」

という構図が確立されます。


国王は今も仏教の守護者

現代のタイでも、
この関係は変わっていません。

憲法上も、
国王は仏教の保護者とされています。

だからタイでは、

この2つは、
ほぼ同じ意味を持つのです。


なぜタイでは王室批判が厳しいのか?

ここで少し現代的な話。

タイで王室への批判が非常に慎重なのは、
単なる政治的理由だけではありません。

王室=

これらが
ひとつに結びついているからです。


Day2のまとめ

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