第2章 4.海外雄飛のための留学生試験 西野順治郎列伝 ⑬

著者が在学していた頃の神奈川大学(神奈川大学提供)
著者が在学していた頃の神奈川大学(神奈川大学提供)

留学生試験

話を戻して、外務省の国家試験を受験する動機として、自叙伝では次のように書かれています。

海外雄飛を目指して横浜に来たが、寒村の農家出身で特に実業界にコネを持っていなかったので、実力で受験できる分野を選択した、と書かれています。

当時農家出身者が、外務省の外交官に進むことは、極めてまれなケースだったのでしょう。
それは「百姓出身者が侍の身分になる」ような、極めて可能性の少ない職業選択だったのではないでしょうか。
それほど、難しい関門だったのでしょう。

なお当時外務省に入省の道は、高等文官試験と留学生試験がありましたが、前者は卒業後でないと受験資格が得られなかったようです。

しかし、後者は受験資格に制限がない時代でした。

高等文官試験は現在の「国家公務員試験総合職試験」に相当します。

そこで、西野さんはまず留学生試験のカテゴリーに挑戦した、と書かれています。

試験は、両者とも語学と国際法が重視されていたので、これらの科目を重点的に勉強したことは既に説明しました。

ここで、当時の試験の様子を見ましょう。

1937年(昭和12年4月)に実施された試験では200名以上の応募があり、このうち東京、大阪、の両外国語学校(現外国語大学)出身者が最も多かったとのこと。(注:大阪外国語大学は、2007年大阪大学と統合になる)

第一次試験で30名ほどが残り、第二次の外国語会話を含む口頭試験を経て最終的に9名が採用された、とのこと。

横浜専門学校からは、同級の岩瀬 幸氏(後のニカラグア大使)も受験し合格しています。合格者9名の内2名が横浜専門学校という実績を上げています。

さて、現在の試験の様子を見ましょう。

外務省のサイトによると、外務省専門職の2019年度申込者数が362名、第一次試験合格者101名、第二次の最終合格者は48名となっています。

この数字から、当時はいかに狭き門であったか想像できます。

昔は今より就職難でしたから、これに採用される事は宝くじに当たる位の確率ではなかったでしょうか。

現在、本省に1年程度の研修を行い、2年目に在外公館に赴任しています。当時は人材不足のため、本省研修を行わず語学力養成のため直ちに留学させたのでしょう。

なお、外務省では学歴より入省年次が優先する社会で、この点西野さんは同年齢者より2年間早く入省しています。

この事から毛並みの良い「サラブレッド」層からジェラシーを受けることになったのでは、と推測できますね。

想像するに同期9名合格の内、成績上位者は英語圏に留学を命じられた事でしょう。

英語圏の留学に行かず、バンコク留学を命じられたことで、その後一生タイと関りを持つことになります。 これも運命なのでしょうか。

1937年(昭和12年4月)に実施された試験の後、面接を受け最終合格の後、7月にはバンコク留学を命じられています。

この時、西野さんは弱冠20歳でした。

次回は西野さんに受けたご恩の一部について書いてみます。

(次号へ続く)

    著者紹介: 小林 豊  

2021年1月20日 タイ自由ランド掲載

 

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