翻訳したトムヤンティ女史の 「メナムの残照」①、西野順治郎列伝 ⑦
始めに
前回生い立ちの中学生時代までを描きましたが、今回から3回にわたり西野さんと「メナムの残照」の著者トムヤンティ女史について描いて見ましょう。
西野さんの紹介
西野さんは、旧学制で専門学校の貿易学科で学び、来タイ後、タイ語学習の末にタマサート大学法学部を卒業、戦前タイの日本大使館でタイ政府との交渉の通訳などをされているので、タイ語がとても堪能です。
そんな西野さんは、タイで超有名な小説を翻訳しています。本のタイトルは、「メナムの残照」。
一時はこの翻訳本を大量に販売され、入手困難となるほどでした。移動中に携帯できるように、と手持サイズにする工夫もあったのだとか。
トムヤンティ女史の略歴
ここで、「メナムの残照」の著者トムヤンティ女史の略歴を紹介します。
トムヤンティ女史は、ウィモン女史のペンネーム。1937年(昭和12年)バンコク生まれで、現在83歳。父親は海軍で勤め、母はかつて王室に勤めていました。
中・高、それから法学部で勉強するためタマサート大学に進学しましたが、後に商学部/会計学部に転部し、短大の卒業資格を得ました。
結婚生活では、最初にサマククラムサティエン氏と結婚して離婚し、その後、警察長官スリヴィトジュムチャルエン(当時は大佐だった)と結婚し、3人の子供を持つがその後離婚しました。
タマサート大学3年生で勉強中、 セントジョセフ修道院のタイ語教師に応募し採用されたため、そのためタマサートを退学して、教員として教壇に立ちながら、同時に小説も書いていました。
1976年10月6日のイベントで軍人の夫人会で学生運動を攻撃する主力となった後、ウィモン女史は国家行政改革評議会のメンバーになり、1977年の後半に立法議会のメンバーになりました。
1979年に上院議員になり、1984年にバンコク交通局の局長を歴任。
学生運動に反対したトムヤンティ女史は、国家行政改革評議会のメンバーに任命されました。
処女作
トムヤンティ女史は、14歳のときに初めて短編小説を書き始めました。Sriweeken という雑誌に掲載され、11年連続で執筆しており、最初の長編「The Dream Story」の執筆を開始しました。女史は70歳になるまで短編小説や小説を書いていました。
受賞
彼女はその功績を認められて、2005年にラーマ9世(前タイ国王)からクンジンの称号を下賜されたほか、芸術界における人間国宝的な存在でもあります。
次回は、トムヤンティ女史へのインタビュー内容を掲載します。
(次号へ続く)
2020年11月5日 タイ自由ランド掲載
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