【タイの田舎の小さな家から】立正アクシオム論 —最後の鎖国と人類転生計画—第7話 暗号を解く座標

夜明けの薄明かりがワット・ポー寺院の境内を淡く照らす中、奈々子は住職の言葉の重みを受け止めようとしていた。「選ばれし者」という表現が、彼女の心に深く刻まれている。六十七年の人生で、こんな劇的な運命の転換点を迎えるとは想像もしていなかった。
住職は奈々子とチャイ博士を本殿の更に奥深くへと案内した。一般の参拝者はもちろん、僧侶でさえ立ち入ることのない秘密の部屋だった。石造りの壁には古代パーリ語の経文が刻まれ、天井からは幾何学的な模様を描いた装飾が下がっている。
「この部屋は七百年前、日蓮大聖人の弟子がタイを訪れた際に設計されました。『アクシオムへの道』を記録し、後世に伝えるための聖域です」
住職は壁際に設置された古い木製の机を指差した。その上には、現代的なコンピューターと天体観測機器が並べられている。古代の神聖さと最新技術の融合が、この部屋の特異な雰囲気を醸し出していた。
「我々は現代科学の力を借りて『座標の謎』を解読してきました。しかし、最終的な暗号は、古文書を手にした『選ばれし者』にしか解けないのです」
奈々子は古文書を机の上に置いた。住職が慎重にページを開き、例の数列を拡大鏡で観察する。チャイ博士も隣に座り、詳細な分析を開始した。
「17.127406 / 42.331267 / 2042.09.23 / 19.58.33」
「最初の二つの数字は確実にアクシオム惑星の座標です。『17.127406光年』が距離、『42.331267度』が天体方位角。しかし、後半の数列が謎でした」
住職はコンピューターのキーボードを操作し、画面に複雑な天体計算ソフトを表示させた。
「『2042.09.23』は日付と思われます。西暦2042年9月23日。そして『19.58.33』は時刻でしょう。午後7時58分33秒」
奈々子の心臓が高鳴った。
「2042年……それは17年後ですね。何か特別な意味があるのでしょうか?」
「天体力学的に極めて重要な日時です。その時刻に、地球とアクシオム惑星の軌道配置が、意識転送に最適な状態になるのです。量子もつれ現象を利用した遠距離通信において、重力場の影響が最小化される瞬間です」
チャイ博士が追加の説明をした。
「つまり、人類の意識をアクシオム惑星に転送できるのは、この特定の日時のみということです。しかも、転送可能な時間はわずか数分間。逃せば次の機会は数百年後になります」
その時、奈々子のスマートフォンに通知が届いた。例の謎の存在からのメッセージだった。
「座標解読完了を確認。奈々子、優秀である」
「しかし、これは第一段階に過ぎない。転送技術の開発が急務」
「日本政府の『アクシオム計画』進捗率:43%。技術的課題多数」
「警告:第二の難『天変地異』、本日午後開始予定」
三人は顔を見合わせた。『第二の難』がついに始まるのだ。
午前九時、日本の気象庁では緊急事態が発生していた。地震予知システムが異常な数値を検出し続けている。しかし、その震源地は既知の活断層とは全く異なる場所だった。
「これは尋常ではありません。南海トラフとは別の場所で、巨大な地殻変動の前兆が観測されています」
地震火山部の主任研究官が、大きなモニターに表示された日本列島の地図を指差した。赤い警告マークが、通常とは異なるパターンで点滅している。
「震源の深さが異常です。通常の地震は地下10-20キロで発生しますが、これは地下50キロ以上。まるで人工的に引き起こされているかのような……」
その瞬間、警報が鳴り響いた。午前9時42分、静岡県沖を震源とするマグニチュード7.8の巨大地震が発生したのである。
バンコクのワット・ポー寺院にも日本の地震速報が届いた。住職は深刻な表情で報告を受けた。
「始まりました。『地は裂け』の予言が現実となっています。しかし、これは自然災害ではありません」
「どういう意味ですか?」
奈々子の問いに、住職は隠されていた資料を取り出した。
「我々が長年調査してきた結果、『七難』は自然発生するものではなく、何者かによって計画的に引き起こされていることが判明しています。目的は……」
「目的は?」
「人類を強制的にアクシオム惑星への移住に向かわせることです。地球環境を意図的に悪化させ、物理的な生存を困難にする。そして、唯一の救済策として『意識転送』を提示する」
奈々子は戦慄した。もしもこの仮説が正しければ、人類は巨大な陰謀の中で操られていることになる。
「しかし、誰がそんなことを?そして、なぜ七百年も前から計画していたのですか?」
住職は深く息を吸った。
「それが最大の謎です。我々は『彼ら』を『時の管理者』と呼んでいます。人類の歴史を遥か古代から監視し、必要に応じて介入する存在。日蓮大聖人も『彼ら』からの啓示を受けていた可能性があります」
その時、チャイ博士がコンピューターの画面を見て声を上げた。
「奈々子さん、こちらを見てください。日本の地震と同時刻に、世界各地で異常現象が観測されています」
画面には世界地図が表示され、各地に赤い点が点滅していた。
「カリフォルニアで原因不明の山火事、オーストラリアで記録的な干ばつ、ヨーロッパで異常低温……すべて同じタイミングで発生しています」
奈々子のスマートフォンが再び鳴った。
「第二の難『天変地異』開始確認」
「全世界同時多発災害、計画通り進行中」
「人類の危機意識醸成率:67%に上昇」
「次段階:技術開発の加速。奈々子の役割重要」
住職が立ち上がった。
「奈々子様、ついに『時の管理者』との直接対話の時が来ました。彼らとの接触方法を記した秘文が、古文書の最終ページに隠されているはずです」
奈々子は震える手で古文書の最後のページを開いた。そこには、これまで気づかなかった極小の文字で、特殊な暗号が記されていた。
「星と心の架け橋、開かれん。選ばれし者、声を上げよ」
「アクシオムの座標にて、午後二時、天に向かい呼びかけよ」
「古文書を天空に掲げ、三度唱えよ『南無妙法蓮華経』」
時計を見ると、午後一時半。彼らに残された時間は三十分だった。
「準備をしましょう。人類の運命が、この瞬間にかかっています」
住職の言葉に、奈々子は深く頷いた。バンコクの青空の下、七百年の時を経て、ついに『時の管理者』との接触が始まろうとしていた。地球の各地で災害が猛威を振るう中、小さな寺院で行われる神秘的な儀式が、人類の未来を決定することになるのだった。
しかし、奈々子にはまだ知らされていない真実があった。『時の管理者』の正体と、彼女が本当に『選ばれし者』である理由。そして、アクシオム惑星に隠された、さらなる秘密について。これらの真実が明らかになる時、物語は新たな局面を迎えることになる。




