西野順次郎さんの生誕地を訪問、西野順治郎列伝 ②

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西野順次郎さんの生誕地を訪問、西野順治郎列伝 ②

西野氏が6歳のころ、自宅で

この覚え書きでは、小生が西野さんと接した中で知ったこと、自叙伝にも書かれた功績を書き留めつつ、余談も交えて当時の様子が見えるような内容になれれば良いと思います。彼の功績を紹介するに当たり、西野さんのことを知らない方も多いと思いますので、彼の生い立ちと家族から始め、どのような人物であったか年代に沿って紹介していきたい。

『出生地』

西野さんは1917年(大正6年)8月9日、大阪で生まれました。この時代は、大正ロマンと言われるほど自由な雰囲気がありました。

「故郷はどこですか」と聞かれると「大阪府です」と答えていました。小生も、西野さんから出身は大阪府の山奥と聞いていました。

また、自叙伝では、大阪府の寒村と書かれています。その理由は「大阪です」と言えばあー、あの贅六のボンボンかと思われるから、とのこと。(注:贅六のボンボンとは、贅六(ぜえろく=関東の人が上方の人をあざけていう語)ボンボン(親に甘やかされて育った金持ちを指す))大阪と大阪府、という一字違いにこだわった心境がわかります。

出生地は、およそ都会とは縁のない大阪府泉南群東信達村大字金熊寺844番地で、現在は泉南市信達金熊寺となっています。

風吹峠と言う峠を越えると、和歌山県粉河町の根来寺があり出生地は山の麓になります。南斜面を背にしてお寺「金熊寺(きんゆうじ)があり、昔とかわらぬ緩やかな勾配がある山間、60軒ほどの集落です。

4年ほど前ですが、かねてから、一度西野さんの生誕地を訪問したいと思い、たまたま大阪に短期間住んでいたので、その機会を逃さず2016年3月28日に訪問しました。

天王寺始発、JR阪和線、和泉砂川駅が最寄りの駅で、目標地へはバスもタクシーもありません。また、彼の自叙伝では、片道4キロを毎日自転車で通学したとあるので、実際にその道のりを自分の足で確かめました。

そこに辿り着く前に、珍しくひらがなで書かれていた「大阪府立すながわ高等学校」を通り過ぎ、約2キロ進んで目的地の金熊寺に着きました。住所表示の844番地を探した所、そこは家が取り壊され、更地になっていました。

その辺は山沿いの集落というイメージです。電車駅まで自転車で片道4キロという話ですが、朝は下り坂なので楽でしたが、帰宅の際は上り坂となるので「辛かった」と書かれています。

当時は車がないので苦労話になりますが、現在では、車で泉南市内から30分位で行ける便利な所でしょう。 (次号へ続く)

著者紹介: 小林 豊

2020年8月20日 タイ自由ランド掲載