小学校時代に冬でも半ズボン、西野順治郎列伝 ⑤

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東信達尋常小学校卒業(昭和5年)前から2列目、右から2人目が西野順治郎氏

東信達尋常小学校卒業(昭和5年)前から2列目、右から2人目が西野順治郎氏

村の小学校は、西野さんの生家から約300メートル南の山麓にあり部落と同名寺院「金熊寺」と信達神社に隣接し、寺や神社の境内が学校の運動場でした。

全校児童数は130名(現在でもほとんど同数)、西野さんのクラスは男子12名、女子11名の23名でした。 教師は4名、その内ただ一人の女性の教師は1年生担任、校長は6年、他の二人の教師は4・5年と2・3年とをそれぞれ合同で担任していました。

1930年(昭和5年)の春になると、西野さんはお兄さんの卒業と入れ違いに府立岸和田中学校に入学しました。入学式の当日、父親の利一郎さんは一緒に行ったそうですが、それは中学5年間を通じて最初で最後のことだったそうです。

いまでは、子供の入学式、参観日などに行く教育熱心な親が多いですが、当時は農作業に追われて子供の行事に付きあえなかったこと、当然でしょう。

当時の落合 保校長より「質実剛健(注:飾り気がなく真面目で、たくましいこと)の校訓に則り、毛織物を一切着用させないこと(注:当時は合成繊維がなかったので毛織物は最も贅沢な防寒衣料であった)、こたつを使用して寝かさないように」との注意がありました。(注:質実剛健はなぜか、現在の神奈川大学の教育目標に引き継がれています)

これに対して律儀者の父親は、西野さんが卒業するまでこのことを完全遵守実行させ、また、学校では体育の時間には冬でも夏と同じく半袖、半ズボンの木綿の運動着で運動場に立たしていました。

このため、西野さんは冬に寒いと感ずることもなく、また雨に打たれても風邪をひいたこともありませんでした。厳しい生活環境は、その体を鍛えるものですね。

この話は、晩年の西野さんの健康の秘訣に続くことになります。

特に、屋敷内の中にコースがあり毎朝ジョギングを続けて、健康管理に留意していたのを覚えています。その結果80歳になっても、顔につやがあり若々しさがありました。

(次号へ続く)

 

著者紹介: 小林 豊

2020年10月5日 タイ自由ランド掲載