元Jリーガーの不動産営業マン 伊藤琢矢さん、家族でタイでの生活決める!


元Jリーガーの不動産営業マン 伊藤琢矢さん、家族でタイでの生活決める!

元Jリーガーの不動産営業マン 伊藤琢矢さん、家族でタイでの生活決める!

元Jリーガーの不動産営業マン 伊藤琢矢さん、家族でタイでの生活決める!

元Jリーガーの不動産営業マン 伊藤琢矢さん、家族でタイでの生活決める!

バンコクの日系不動産会社ディアライフの営業マンであり、セレッソ大阪サッカースクールバンコク校のアドバイザーでもある伊藤琢矢さん(44歳)は、元Jリーガーという肩書きも持っている。

日本でのサッカー選手時代、そして2011年からのタイでの生活、常に家族や仲間の支えがあったから、ここまでやってこれたと、伊藤さんは振り返る。

Jリーグがスタートしたのは、伊藤さんが大学のサッカー部に入った年。当時プロになっても選手生活は短いだろうと考えた伊藤さんは、卒業後は社会人のサッカーリーグへの道を選んだ。

アマチュア志向だった伊藤さんが、プロを目指すきっかけとなったのは、サッカーを辞めた後のセカンドキャリアを考え始めていた頃、9歳年下の選手に、レギュラーを取られたショックからという。

このままでは終わりたくない、自分はもっとやれる、という悔しい気持ちが湧き上がったという。

もうひとつ30歳を過ぎてJリーグを目指すきっかけになった出来事がある。 家族でのハワイ旅行のとき、元サッカー日本代表の中山雅史選手を見かけた。伊藤さんの奥様が「うちの主人もサッカー選手です」と声を掛けると、中山選手は伊藤さんに「Jのピッチで会いましょう」と言ったそうだ。

リップサービスと思ったが、よしやってやろうという気になった伊藤さんは、その後、33歳でプロ契約し、36歳でJリーガーになった。

日本でプレーした大宮、岡山、北九州のクラブは、当時は丁度これからJリーグを目指していく変革期で、Jリーグ昇格に携わることができたのは、とても貴重な経験だったと話す。

タイに行くきっかけとなったのは、2010年北九州退団後のトライアウト。そこにタイのサッカーを紹介するブースがあり、一緒にトライアウトを受けたチームメイトがタイへの挑戦に興味を示していた。タイでプレーしている元チームメイトもいたので、伊藤さんの頭にもタイという選択肢が浮かんだという。

そしてチームメイトの「サッカーを辞めるのはいつでもできる」という言葉に発奮し、タイでトライアルを受ける決心をした。

伊藤さんにとって、サッカー選手としての挑戦は、常に家族と一緒というのがポリシーで、岡山へも北九州へも単身でなく、家族一緒に向かった。

当時、上の女の子が幼稚園、下の男の子が2歳で、タイへの挑戦は、大きな不安があったが、背中を押してくれた奥様は、いつでも心の支えとなってくれているという。

2011年にタイのラプラチャという、ナコンパトムを本拠地とする古豪に入団。その年は不運にも大洪水があり、リーグ戦が中断。さらにビザの問題などがあり、1年で退団することになった。

そして結果的にこれが伊藤さんのサッカー現役引退となった。

日本へ帰る選択もあったが、タイに来てからいろいろ苦労させた家族に、タイできちんとした生活をさせてあげたいという気持ちと、子どもたちが、海外から日本を見られる環境で育てたいと考え、伊藤さんは、タイで就職することを決めたという。

家族とタイで生活を続けるために、今まで積み重ねて来たものを白紙にして、新しいことを始めるのは、気持ちを整理するまで大変だったと言う。

最初に受けた仕事の面接は、スーツがなく友達に借りていったそうだ。

そして2年前、伊藤さんは自分の幅を広げたいと思い、今までとは畑違いの不動産の営業職に飛び込んだ。全てが新しいことの連続だったと言う。

多種多様な職種や経歴の人と会うことで、人見知り気味だった性格も変わったそうだ。

営業職の傍ら務めている、セレッソ大阪サッカースクールバンコク校のアドバイザーは、アドバイスや相談だけでなく、月に何回か実際にレッスンも行っている。伊藤さんは、若い頃はジャンプ力やスピードなど身体能力で勝負するタイプだったが、30代に入ってから考えるプレースタイルに変えたそうだ。それが今、指導する際にとても役立っているという。

今、こうして不動産営業マンとして、サッカー指導者として家族とタイで生活していられるのは、サッカーのお陰。

そして、ここまで好き勝手にサッカーをやらせてくれた家族には、本当に感謝していると伊藤さんは話した。

 

2019年5月20日 タイ自由ランド掲載

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

コメント

  1. 伊藤さんからお話を聞かせていただいて、ご家族のことをとても大切に思っている気持ちが、自然と伝わってきました。