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タイで相撲を根付かせた 東京堂書店の倉沢社長

BTSプラカノン駅から近いスクムビット・ソイ71奥の住宅街。そこの一角に見えるのは、日本式の立派な相撲道場。「泰国相撲連盟」と書かれた看板があり、中で稽古に励んでいるのは、なんと全員タイ人です。でっぷりした、いかにもといった感じの体格の男性から、小柄ながら筋肉質でがっちりした体格の女性までおり、熱心に稽古に励んでいます。

この相撲道場は、タイで日本の新刊書籍を取り扱う「東京堂書店」の社長、倉沢澄夫さん(72歳)が、2006年に自費で建てたもので、年に数回、アジアや世界各国で行われるアマチュア相撲大会でのメダル獲得にむけて、タイ人選手の指導にあたっています。

1978年に来タイし、在タイ歴はすでに37年の倉沢さんですが、タイで相撲の普及活動を始めてからは、すでに22年が経ちました。

地元静岡の高校時代、相撲部で一緒だった同級生が、アマチュア相撲の普及活動を行っており、「タイでも相撲をタイ人向けに教えてみないか」と誘われたことがきっかけでした。

高校時代は3年間、一度も休まず稽古に励んだという倉沢さんですが、社会人になってからは縁がなく、まさか、異国の地で、自分がもう一度相撲に関わるとは想像もしなかったといいます。

その後、「泰国相撲連盟」を設立。会長に就任し、タイで相撲の普及活動を始めた倉沢さんですが、もちろん、選手も練習場所もなにもない、ゼロからのスタートでした。

最初はタイ人の気質を考えず、日本式の指導をしていたため、生徒がすぐに練習に来なくなってしまいました。

相撲は楽しい」と感じてもらえる指導をこころがけるように工夫し、少しずつ生徒のレベルも上がっていきました。

最近出場した大会は、今年の8月に大阪府堺市で行われた世界選手権で、女子重量級のビパラット選手が胴メダルを獲得しました。

アマチュア相撲は男女別、階級別で行われ、小柄な選手でも充分楽しめる競技といい、日本の大相撲で活躍している琴欧州、把瑠都などの力士もヨーロッパのアマチュア相撲出身といいます。

タイ人選手は大学生や大学院生が多く、柔道や空手なども習っている、比較的裕福な層の生徒が多いそうです。

何もないタイで、メダル候補の選手を育てた倉沢さんですが、現在、一番の悩みは運営資金の出場所がないことで、政府からの補助なども一切ないため、海外の遠征費など、すべて、倉沢さんが自費で捻出しており、1回の海外遠征で100万円以上かかってしまうといいます。

しかし、すでに頼もしい後継者がおり、夫婦で相撲を行っているチャカポン選手とチャラットピム選手は、過去にメダルを獲得したこともある、道場のリーダー的存在です。2人とも後輩の面倒見がよく、現在は政府への援助の打診を続けており、援助が少しでも早く出るのを待っています。

倉沢さんは、日本では、約20年近く、地元で銀行員として働いており、来タイしてから「東京堂書店」をオープンするまでも、まったく何もないところからのスタートでした。

倉沢さんは、地元の静岡で知り
合ったタイ人女性と結婚しましたが、結婚後すぐ、タイ人女性がホームシックにかかってしまい、銀行員を辞めて、一緒にタイで生活することを決めました。

トンブリの彼女の実家に住み始めましたが、当時、タイの日系企業は大手製造業がほとんどで、現地採用枠などはなく、なかなか仕事が見つからない状態でした。

そんな状況もあり、ある日突然、タイ人の妻が、倉沢さんの全財産である退職金のほとんどを持って姿を消してしまう事件が起こりました。タイ人女性の家族からは実家にいるよう引き止められましたが、スリウォン通りのアパートに引越し、タイで1人で生活を始めることを決めました。

日本に帰るという選択肢もありましたが、銀行員時代に戻ることを想像したとき、タイでの新しい生活の方を選びました。

その後、運よく台湾系の貿易会社に就職がきまり、そこでは4年間働きました。

書籍ビジネスを始めるきっかけとなったのは1983年。静岡の銀行員時代に取引先でもあった、地元の書店が東南アジアに出店している記事を、新聞でたまたま目にしたときでした。

日系企業が増えてきた頃で、在タイ日本人も多くみかけるようになったこと、また、競争相手もほとんどいないことなどから、大きな可能性を感じ、直接書店へタイに出店しないかと打診をしました。

半年後、倉沢さんも加わってのオープンが決まりました。書籍ビジネスはまったく初めてだったため、最初は経営が上手くいきませんでしたが、本社からマーケティングのスタッフが手助け来てくれたりして、徐々にコツをつかんでいきました。

しかし、テナントで入っていた日系デパートがタイから撤退することが決まり、同時に書店も撤退してしまいました。

そこで、倉沢さんは在庫の本を買い取り「東京堂書店」の第1号店をソイ33/1にオープンしました。

最初の書店の立ち上げで学んだことは、なるべく小規模な店にして、スーパーやデパート内の便利な場所に出店するということでした。当時はBTSなどがなかったため、買い物ついでに立ち寄れる場所というのは、今以上に重要だったといいます。

当時、特に苦労したのは、タイ人従業員の教育でした。日本の書籍を扱う仕事は、本の取り寄せからディスプレイまで、日本語の微妙なニュアンスを必要としますが、スタッフは全員タイ人という状況でした。

また、日本から取り寄せる本は、返品が一切できないため、すべて買い取らなければなりません。人気の本でも在庫が出てしまえば、赤字になってしまい、仕入れの加減がとても難しいといいます。

しかし、タイ人従業員の教育を徹底したり、仕事のマニュアル化などを行い、また、競争相手もそれほど多くなかったため、一番多いときで16店舗、東急デパートやサイアムパラゴンなどにも支店がありました。

順調だった書籍ビジネスですが、大手書店が進出してきたことや、出版業界の不況なども重なり、数年前から、事業は縮小傾向にあります。

現在は、書籍ビジネスも後継者を探しており、大手書店が進出してきたタイでどのように運営していくか、打開策を練っている状態といいます。

今では、タイでの起業や就職など珍しくない時代ですが、倉沢さんが書籍ビジネスを始めた頃も相撲の指導を始めた頃も、すべて手探りの状態でした。しかし、日本にいた頃は、銀行員の仕事に意義を見出せず、毎日憂鬱な日々が続いていたため、タイでの新しい生活は苦労の多い反面、とても新鮮でやりがいがあったといいます。

ここまでこれたのは、自分を受け入れてくれたタイのおかげで、タイ人に恩返しをする想いで指導をしているといいます。

最近は、ペップリーのホテルで行われた鉄板焼きの「ベニハナ」のオープン記念で、相撲のデモンストレーションを頼まれ、選手をつれていったそうで、タイで相撲が浸透していくのはとても嬉しいと語りました。

2015年11月5日 タイ自由ランド掲載

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