Category Archives: タイでロングステイ

タイのバンコクでフリーコピーを発行する「タイ自由ランド」が、ロングステイの情報を提供しています。

「日本人共済組合」は、タイ国内にある日系企業、日系企業で働く方、その配偶者やお子様、日本語学校の学生など、日本にかかわる人を対象にしており、共済事業を通じてコミュニティをつくることを目的としています。

組合員が相互に助け合える環境を目指し、税・法律などにかかわる問題解決の協力をし、また組合員家族に生じる経済的な損失を補い、生活上の安定を図る目的で組合員全員に団体保険にも加入して頂いております。サミティヴェート病院医療費割引特典有り。バンコクで葬儀の手配 (ワット・タートーン)も可能です。

なお、団体保険には、法人組合タイ人従業員用の団体保険もあります。

 

2016年6月20日 タイ自由ランド掲載

 

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->日本人共済組合の情報

「日本人共済組合」は、タイ国内にある日系企業、日系企業で働く方、その配偶者やお子様、日本語学校の学生など、日本にかかわる人を対象にしており、共済事業を通じてコミュニティをつくることを目的として設立し、5周年を迎えました。

組合員が相互に助け合える環境を目指し、税・法律などにかかわる問題解決の協力をし、また組合員家族に生じる経済的な損失を補い、生活上の安定を図る目的で組合員全員に団体保険にも加入して頂いております。サミティヴェート病院医療費割引特典有り。バンコクで葬儀の手配 (ワット・タートーン)も可能です。

なお、団体保険には、法人組合タイ人従業員用の団体保険もあります。

2016年4月20日 タイ自由ランド掲載

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山岳民族の支援を自費で行う教員歴43年の野村さん

タイには様々な形で退職後の生活を送る日本人がいます。ゴルフや趣味を満喫して悠々自適に暮らす人、少ない年金で倹約した生活を送る人など。

野村啓子さん(68歳)は日本で定年を迎えた後、地元の大阪に住みながら、タイと日本を行き来し、チェンライの少数民族の支援を個人で行っています。

日本では43年間、大阪の中学校で保健体育の教師を務めており、もともと海外旅行が好きだったため、定年退職後は、海外で人の役に立つことができれば、と漠然とした想いがありました。

退職前、観光で数回遊びに来ていたタイで、たまたま旅行会社に勤める知人の紹介により、チェンライの少数民族のための教育支援施設を見学するチャンスがありました。

見学したところは、支援の行き届いた立派な施設でしたが、帰りにたまたま立ち寄った別の地域は、細々とした支援で成り立っている、貧しい場所で、「今すぐ改善が必要なのはここだ」と野村さんは支援を決めたといいます。

そこでは、アリヤさんという男性がアカ族の支援団体「アブ・アリ・プロジェクト」を立ち上げており、伝統工芸品の刺繍を販売したり、タイ国籍のない人や、エイズの人、人身売買の問題などを改善するため活動していました。

自身もアカ族出身というアリヤさんは勤勉で真面目な人で、独学で覚えた日本語もペラペラ。そこで、野村さんはアリヤさんと相談しながら、どんな支援を行うのがよいか、いろいろ考えました。

アリヤさんは、孤児や家が貧しい子ども達のための寮も運営しており、そこでは18人ほどの子ども達が、炊事、掃除、洗濯などすべて自分達で行いながら、学校に通っています。

夜になると、子ども達が真っ暗な軒下で勉強をはじめたそうで、その様子を見た野村さんは、同じ敷地内に図書室兼学習室と女子寮を自分の退職金の一部を使い、自費で約100万バーツかけて建設しました。

その後も、年に3回ほどチェンライを訪れ、日本から持ってきた衣類や学用品、お菓子を子ども達にプレゼントするのが恒例となっています。

最近、訪れたのは今年3月の初旬。今回の日本からのお土産は、子ども達の通学用のリュックと、キーホルダー、日本のお菓子は毎回3種類と決めています。

そのほか、育ち盛りの子ども達のために、毎回豚を丸ごと1匹プレゼントするそうで、1匹約5000バーツほどの値段で、3~5回に分けて食べられる量といいます。

チェンライ滞在中は、1泊600バーツのゲストハウスに宿泊しながら、村の大人達の暮らしを見てまわったりもします。

渡航費や宿泊費、プレゼントの代金はすべて自腹。日本で知り合いを通じて集めた募金は、全額そのまま寄付し、アリヤさんに子ども達のために使ってもらいます。寄付金の中から自分達の活動費を捻出する団体もありますが「そういうのは、ハッキリ分けなきゃ」と野村さんはいいます。

日本で募金に協力してくれた人には、報告のためにラインやフェイスブックを通じて写真を送り、教員仲間を誘って一緒にチェンライに行くこともあります。

チェンライでボランティア活動を終えた後は、バンコクに立ち寄り、そこで2、3泊し、マッサージやショッピングをするのも楽しみのひとつといいます。

教員時代と違い、今ならローシーズンを狙って来れるので、国内旅行より安くすむし、バミーとソムタムも毎回欠かさず食べていて、「食べるとああタイに来たなと実感わく」と話します。

日本に戻れば、今度は次のチェンライ行きのための準備が始まります。

子ども達へのお土産を探したり、知り合いをまわって、アカ族の刺繍品を買ってもらったり。また、大阪の家に滞在している間は、自分の家を1泊5000円のゲストハウスとして開放しており、そこで得たお金も、そのまま寄付へまわします。

「退職後、何もすることがないという人がいるけど、人のために何かすればいいのに」と野村さん。健康にも気を使うようになり、あれこれ毎日考えて行動して、限られた年金をうまくやりくりしてと、ボケ防止にもなる。「決局は自分のためになりますよ」といいます。

野村さんは教員時代、保健の授業で行っていた独自の『性教育』で有名な先生でした。教師でも言いにくい性の問題をはっきりした言葉で伝え、望まない妊娠や感染症の危険を子ども達にしっかり伝えてくれる先生と保護者から厚い支持を得ました。NHKの番組で取り上げられた後は、さらに反響を呼び、全国各地から講演会にも呼ばれ、その数は1000回以上といいます。

今でも、講演を頼まれることがあり、そこでも募金を募ったり、自身のボランティア活動を話したりするそうです。

私生活では2度の離婚を経験したそうですが、娘2人は立派に育ち、なんと2人とも漫画家になりました。長女は連載を3本持つ、売れっ子の漫画家、金田一蓮十郎さん。

「タイに住めば?」とすすめてくれる知人もいますが、日本での暮らしと娘達と一緒にいる時間も大事なので、今はこの生活スタイルで落ち着いているとのこと。

野村さんの考えるボランティアを成功させる秘訣は、自分のできる範囲で無理をせず、自分自身が楽しむこと「ボランティアのついでに観光を楽しむのだっていいんですよ」と野村さん。

次に来るのは8月とのことで、募金や一緒にプロジェクトに参加してみたいという人も歓迎。興味のある人は野村さんに気軽に連絡してみて下さい。

2016年4月5日 タイ自由ランド掲載

 

->アブ・アリ・プロジェクトのホームページ

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->日本人会のサークル

 

★★ 関連リンク ★★

->アカ族の村(チェンライ) | タイ国政府観光庁
->アカ族の基礎知識 | チェンマイ発CHAO連載
->チェンライ | タイ国政府観光庁

 

アブ・アリ・プロジェクト

 


 

->タイ関連コラムの情報

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今年の4月で設立5周年を迎える「日本人共済組合」。

タイにある日系企業で働く方や家族などを対象に掛け捨ての団体保険なども加入できます。毎月の掛金1500バーツで1日の入院給付金が6000バーツの団体保険スタンダードプランは24時間世界中で補償できるプランとなっています。

ほかには、さらに手厚い補償の団体保険プレミアムプランやサミティヴェート病院医療費10%割引、税・法律などの無料相談(毎月第2、3土曜日)、タイ語と日本語の初級コース、その他サークル活動なども行っています。

なお、団体保険には、法人組合タイ人従業員用の団体保険もあります。

2016年2月20日 タイ自由ランド掲載

 

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タイでロングステイする大角さん

以前に本紙で紹介したタイでロングステイの大角さん(77)。そのころはスパンブリー県で悠々自適の農業生活を送っていた。自分で採ったきゅうりやなす、マンゴー、パパイヤ、チョンプーなどを食べて過ごしていたが、パートナーのタイ人と分かれることになり、今はBTSバンナー駅近くのコンドミニアムで1人で暮らしている。

朝6時ごろ起き、2日に1回は、歩いてチャオプラヤー川まで行き、川を渡って、プラプラデーンで散歩を楽しんでいる。澄んだ空気の中で、川沿いに遊歩道なども整備され、木々で影になるため直射日光もあたらず、快適に歩けるという。周回で10kmほどにはなるという。

また、食事は自分で作ることが多いが、たまにはサムットプラカーンの市場まで朝6時ごろにバイクで行き、そこで新鮮なカツオ、ハマチ、ヒラメ、サヨリ、キス、アジなどを仕入れて持ち帰り、刺身にして食べるのも楽しみ。他にタイなどもあるが、日本のようにピンク色ではなく、白い色をしていて味も少し違うという。

大角さんは52歳の時に大手の繊維メーカーの駐在員としてタイに赴任し、そのままタイで定年をむかえ、地元のローカル企業で8年ほど働いたのちは、年金で悠々自適の生活を送っている。当時は為替レートもよく、もらった年金は軽く80万バーツに達していたが、今は目減りし、さらに毎年、徐々に年金額も減ってきて、60万バーツほどにしかならず、それでは1年のロングステイビザが更新できないため、不足分の20万バーツは預金をしてビザ更新をしている。

話し言葉から、関西風の感じがして筆者が「関西の方の人ですか」と問うと、「京都です」というので筆者も「私も京都です。ところで京都のどこですか」と聞いてみると、「太秦」と言うので、「え~、じゃ太秦小学校ですか」と聞くと「そう、太秦小学校蜂カ岡中学でした」というので、奇遇にも同じ学校出身でビックリ。さらに聞くと、まだ自分の家はそこに残していて、もし病気にでもなれば、そこに帰るつもり、というので「どのあたりですか」と聞くと「京福の常盤と帷子ノ辻の間あたり」というので、さらに話がはずみ、筆者が住んでいた一ノ井町や自然幼稚園なども知っていて、とっても懐かしかった。

とりあえず今は、病気とは無縁で、バイクで買い出しに出かけ、弟が住むブラジルへも今年の五輪の期間中、行くかどうか検討中とのこと。「6月~9月まではビザなしで行けるんでね」といい、気候のよいタイでまだまだこれからも生活していくつもりのようだ。

(M)

2016年2月20日 タイ自由ランド掲載

★★ 関連リンク ★★

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バンコクで家事のお手伝いなら「さくらメイド」をご利用下さい。日本式の教育を受けたメイド派遣サービスで、日本人も納得の質の高いサービスです。

「さくらメイド」は、日本に本社を構える「さくら介護グループ」の海外事業所です。実績32年、国内外280カ所に事業所を持つ信頼と実績のある会社です。

ここバンコクでも日本でのノウハウ・経験を活かし妥協のないサービスを提供いたします。

申し込みは電話のほか、弊社ウェブ http://sakuramaids.com/ja/からもできます。

家事サービスの一例としては、拭き掃除・床掃除・水まわりの掃除など。プロの仕事で、本当にピカピカです。大掃除のこの時期に活用するのも大変おすすめです。 また、洗濯・食器洗いなどもオーダーできますので、忙しい単身の人にも人気です。詳細は左下広告内を参照で。

 

2015年12月20日 タイ自由ランド掲載

 

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「さくらメイド」の広告

 

 

タイのソンクラー1人ロングステイをする鈴木さん(仮名)。

今回はわざわざ90日ごとの出頭をするのにバンコクまでやって来た。午後2時40分のハジャイ発の列車の切符を予約し、当日は時間通りにソンクラーからやって来たが、4時間遅れで6時半ごろ出発。

タイの田園風景を見ながら夜通し過ごし、バンコクに着いたのは翌日の昼2時半ごろ。20時間も2等の座席に座るというタフネスだ。料金は475バーツ。

フアランポーンの駅向かいのステーションホテルに泊まるのに便利、ということで列車を利用しているが、20時間座りっぱなしというのはスゴイ!

そして、ステーションホテルもこの暑い中、エアコンなし、というから62歳になってサバイバルに挑戦する鈴木さんだ。1泊は280バーツ。

日本人とたわむれるのは嫌いで、日本から郵送した本を思う存分読みたい!ということでソンクラーでロングステイし、今は1年で50~60冊は読めているという。それでも残りの本は数百冊にのぼるらしい。

60歳から年金をもらい、70%に減額で、約15万円が10万円ほどで、タイの銀行に振り込まれ、バーツになると26000バーツほどにしかならない。以前より8000バーツほどは目減りしている。

1ヵ月の出費は20000バーツほどでおさえており、そのうち家賃や光熱費で4000バーツほど。

円安の目減り分は「毎日飲んでいたビールを1日置きにしたり、吸っていたたばこの数を減らしたり」という対応だ。

ソンクラーは漁村だから魚が豊富。たまには市場で何匹か買って近くでロングステイする欧米人などといっしょに食べたりもするという。

また、30年ほど前には喫茶店をやっていたこともあるので、ケーキを焼いて、同じアパートに住むフィリピンの英語教師にあげると喜んでくれるとか。タイの高校の英語教師をしている。そのほか、中国の領事館で働く中華系タイ人なども住んでおり、まわりには若い女性が多いという。

将来的にはチェンマイやチェンライに移動したいと思っているが、あと数年はソンクラーで過ごすつもりだ。

 

2015年5月5日 タイ自由ランド掲載

★★★ 関連リンク★★★

-> ソンクラー県

-> ロングステイ

-> ロングステイ、高齢者、年金者の1年ビザ取得、更新代行業務

 

「本帰国です」というのは、タイに都合15年ほど関わった佐藤さん(仮名)。

2000年から仕事でタイと関わり、2007年には駐在として来て、昨年、65歳で退職して1年、ロングステイビザで過ごした。

東京に住む奥さんとチェンマイで第2の人生を送るつもりだったが「実際に行って見てきたんですが、物価が上がっている。妻も描いているイメージと違うというし」。

1カ月2万バーツほどあれば、プール付きのマンションでゆっくりできて、と思っていたが、調べたところ実際には3~5万バーツほどかかる。妻が来ないのに、私がこれ以上、住んでいるわけにもいかないと、未練30%を残して佐藤さんも帰国することにした。

「今後、1年に何回か、1カ月の滞在期限で遊べばいいわけですし、その方がいいかもしれない」と佐藤さんはいう。

駐在の時はマンションもスクムビットで、優雅に暮らせたけど、腰痛、高血圧で今は、お酒も控えているし、ゴルフもやめたし、1人でいても心細いだけ」という。

1年前までは会社が用意するプール、フィットネス付きマンションだったが、退職してからは、ラムカムヘンのアパートに引っ越した。タイ人の知人が勧めてくれたものだが、どこに行くにも不便だ。

円安により、タイバーツに両替すると目減りしてしまうのも、帰国を決心した理由の1つだ。「厚生年金も減っているし、それでいて、タイの物価は上がる一方。よく行くマッサージは以前、2時間250バーツだったが今は400バーツ。近くのビッグCの日本食も同じ価格でも量が減っちゃてね」と佐藤さんは笑う。

ロングステイをする高齢の日本人の中には佐藤さんと同じように、円安、物価高のタイで、帰国を決断する人も多い。

 

2015年4月5日 タイ自由ランド掲載

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整形、美容 タイではヤンヒー病院など、安い
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引越し 安心を買うなら日系の業者さんに
ゴルフ タイはゴルフ天国、でも日中は暑い
旅行、トラベル 1日ツアーなどを利用
ゴルフ場予約 事前に予約すると安くなる!
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メガネ 日本人担当者常駐だから安心
書籍、中古 日本の書籍が読みたいならここ
リサイクルショップ いらなくなったものはココに買い取ってもらう
リサイクル 日本の古書なども掘り出しものが見つかる
名刺、デザイン ビジネスを始めるのにかかせないもの
看板、印刷 日本の業者にたのむとやはり早い!
おけいこ、教室 日本人経営だから子どもも預けやすい
ダイエット、おけいこ 女性にもおすすめ
清掃、洗浄 レストランなどの業務場所にも対応
洗剤、消臭 同じく、飲食店など向けにも行っている
工場の自動化 郊外やチョンブリーの日系工場向け
仕立て、スーツ 既製品を買うよりも安かったりする
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以前、ソンクラー県でロングステイする日本人の話を書いたが、タイ北部のナーン県にロングステイする平井さん、67歳を今回は紹介しましょう。

ナーン県というと、以前は存在感の薄い県でしたが最近は、日本人がリゾート開発をする、という話も聞き、過ごしやすい気候で、山や湖もあり、にわかに注目されている地域でもあります。

平井さんが住むのはナーン市から70kmほど離れたチャンクラン郡。「日本で住んでいた静岡県と同じような気候です」といい、今なら朝方は8℃くらいまで下がるといいます。

買い物はセブンイレブンかロータスのコンビニしかなく、買い出しはナーン市まで行く必要があります。

そのため、同じ郡に住んでいる日本人は「あと1人しかいないと思います」とわかってしまう。

1日の過ごし方では、朝の散歩、そしてインターネット、そのほか、庭づくりもしており、50m四方ほどの結構、大がかりなものをつくっています。日本風に作り上げ、池にはナマズも飼い、自給自足のための野菜も一部で植えています。

ナーン県で行われた庭づくりコンテストで優勝したこともあり、他の郡から視察に来る人もいます。

当初は自分で庭の草むしりをしていましたが、近所の人から「そんなことをしてはいけない!」といわれ、タイでは人を雇える身分の人はちゃんと雇わなくては、ということを教えられ、今では日当200バーツほどで人を雇い、草むしりをまかせています。

もともと、ナーン県はタイの奥さんの実家があったことで、そこに家を建て、十数年前には定年後に住めるところかどうか、住んで見たことがあります。それで確認し、定年を迎えて、ナーン県に移住して約3年になります。

1日の楽しみである食事は、自炊をすることが多く、材料はタラート(市場)で買います。日本のしょうゆなどはロータスのコンビニで売っていますが、さすがにかつをだしやめんつゆは売っていない。そういうものは息子がバンコクに住んでいるので送ってもらいます。

物価はとても安く、バンコクの半額。1ヵ月で使うお金も1万バーツほどでしょうか。とても快適です。

不便といえば、歯が悪いので歯医者に行くのにナーン市まで行かなくてはいけない。

また、バンコクまで夜行バスを使うと12時間もかかります。飛行機なら1時間ほどですが。

これからいつまでここにいられるかわかりませんが、定年後のロングステイをエンジョイするつもりです。


ナーン県への旅行者は年々増加!

ナーン県への旅行者は年15~20%も伸びており、タイ観光庁によると、ナーン県‐プレー県‐ウッタラディット県を合わせたパッケージ旅行が人気という。

バンコクからも飛行機で行け、ナーン空港には新ターミナルも完成し、1時間で300人ほどをさばけるようになった。ノックエアは1日、4往復しており、またエア・アジアも1日2往復でほぼ満席に近い状態のため、この3月には1往復増加する見通しだ。

2015年3月5日 タイ自由ランド掲載


★★★ 関連リンク★★★

ナーン県 – Wikipedia
ナーン県 観光名所・人気スポット – トリップアドバイザー
ナーン県ホテル, タイ – 97軒のホテル料金比較

 

 

 

 

 

介護が必要な老人ホームに日本人高齢者も入居中

介護が必要な老人ホームに日本人高齢者も入居中

 

老後をタイで過ごすのは元気なうちは良いですが、健康上の理由で、日本へ帰国する人もいます。しかし日本に帰る場所がなく、タイに骨を埋める覚悟を決めている日本人高齢者も多く、将来自分が介護が必要になった時のことを考えると不安という声が多く聞かれます。

また高齢の親をタイに呼び寄せた後に、プロの介護が必要になるケースもあり、在タイ日本人の介護への関心は高まっています。

京都大学医学部卒のバンコク病院のレヌー先生は、患者の中に行き場所のない高齢者が多く、なにか自分に出来ないものかと8年前にエルダリー・ケア・ナーシング。ホーム(Elderly Care Nursing home)をスタートしました。

私費で始めた慈善事業的な施設ですが、正式な病院として承認されており、全部で30床で現在日本人3人を含む22人の高齢者がここで過ごしています。欧米人も居た事があるそうです。

先日、ホームを見学させてもらいました。場所はドンムアン空港に近いパホンヨーティン通りソイ69で、すぐ近くに大きなセントラル・ジェネラル・ホスピタルがあり緊急の際に利用できます。

コンパクトな5階建ての建物は、以前は病院だったそうで、診察室や受付などにその名残が感じられました。

2階の男性用相部屋には9人、3階の女性用相部屋には11人入っていました。個室は4階にあります。入居者はアルツハイマー、末期ガン患者などで、訪れた時は、ほとんどの方が寝ていましたが、介護士の方々は、忙しそうでした。12人の介護士が2交代制で24時間介護にあたっています。

建物自体は古いですが、隅々までしっかり管理が行き届いている印象で、リハビリ運動が出来る部屋、キャンティーンもあり、料金は食事など込みで1ヶ月相部屋で3万バーツ台、個室で4万バーツ台。タイで働くある日本人の親が寝たきりで入居しており、日本人にとって費用が手頃でケアも行き届いているので、安心して預けられるといいます。

核家族化が進むタイでは、民間の介護老人ホームが増えていて、月1万バーツ程の所もありますが、医療のプロでないため問題が多く、特に合併症が多いそうです。このホームに入居しているのは、24時間介護の必要な老人ですが、レヌー先生は他の医師とともに次のプロジェクトとして、そこまで介護が必要でないロングステイヤー向けの老人ホームの建設を進めています。

ラマ9世通りとシーナカリン通りの交差する付近に、3ライの敷地を確保しており、現在申請中でいくつかの法的な問題をクリアし、来年中の完成を目指しています。介護だけの老人ホームではなく、入居者が活動を通して生きがいを感じられるような施設にしたいとのことで、タイにはまだない新しいコンセプトの施設を構想中です。

最初の建物は5階建て50床を予定しており、その他に敷地内にいくつかの施設が予定されていて、日本人入居者が多ければ、日本人専用のフロアーなど日本人向けサービスも考えられるようです。細部はこれから決めていくそうですが、多くの日本人ロングステイヤーが興味を示すのではないでしょうか。

旅行を楽しんでいるという日本通のレヌー先生ですが、日本との最初の縁は、友達に誘われて日本の奨学金留学生の試験を受けたことがきっかけだったそうです。

医学生だったレヌー先生は、試験はうんざりでしたが、友達にどうしても一人では心細いので一緒に受けて欲しいと頼まれて受けたそうです。結果はレヌー先生が受かり、友達は落ちてしまったそうで、人生何がきっかけになるかわからないものです。

「今年で60歳になるので、やりたいことは、急いでやらないといけませんね」と冗談交じりに話すレヌー先生ですが、大変若々しく活動的で、バンコク在住の日本人にとって心強い存在です。新しい老人ホームが成功したら、さらに他の場所でも展開したいといいます。

今後、急速に進むと予測されるタイの高齢化社会を見据えたモデル・プロジェクトとしての長期的なビジョンもあるようです。

2015年3月5日 タイ自由ランド掲載

 

タイでの広告は料金と効果を考えれば断然、タイ自由ランドです

タイでの広告は料金と効果を考えれば断然、タイ自由ランドです

 

タイに住む日本人とともに、日本に住む日本人でタイに来る人などに、効果的に告知するのはタイ自由ランドの広告が一番です。

何といっても、広告料が断然安い! 広告というのは3ヵ月載せてすぐ効果が出るものでもありません。1~2年と継続して、衆知していくのがよい。

そういう意味でタイ自由ランドの広告料は、ほぼ名刺サイズでは、1年契約をすれば1ヵ月分2回掲載で、4640バーツという値段です。広告料を切り詰められるのがわかると思います。

この料金に含まれるものとして、


①広告掲載が基本として上げられます。広告内は毎回変更が可能で、デザイン等はもちろん、編集部が作成します。

②編集部による取材、記事の作成が料金に含まれます。これは広告枠とは別に紙面に設けられるもので、広告だけでは伝わらない店の雰囲気等がこの記事により、より印象深くなり、集客効果が見込めます。

③紙面に載せた記事と広告をホームページ1ページ分として作成します。


まだホームページがない、という店もこの1ページ分を宣伝に利用できます!

④店の詳細をホームページ1ページ分として作成します。これにより「店の名前、バンコク」でグーグル検索しますと、ほぼ1位、あるいは3位以内には表示されます。このページを御社のフェイスブック等にリンクさせるため、御社のサイトも検索で上位に上がっていきます。これにより、日本にいて、タイに来る日本人の目にも留まりやすくなります。

これらすべての作業が上記の広告料金のなかに含まれます。

広告料金と広告効果を考えれば断然、タイ自由ランドです。特に新規でレストランを出される方など、下の広告内の阿久根までどうぞ。

2015年2月20日 タイ自由ランド掲載

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タイ自由ランド広告募集

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ロングステイヤー同士の交流でアクティブに!

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バンコクのロングステイ情報

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バンコクのロングステイ情報2

バンコクのロングステイ情報2

 

写真をクリックすると拡大してご覧いただけます。

 

退職後に海外でのロングステイをする人の人気調査では、必ず上位に入るタイ。バンコクには、ロングステイヤー同士の親睦を目的として設立されたグループが複数あり、毎月の例会や、ゴルフ、旅行などのアクティビティを楽しんでいます。

今回はバンコク・ロングステイ日本人倶楽部の小林公代表(67歳)、林利昭さん(67歳)知子さん(50歳)夫妻、岸本吉正さん(67歳)に、ロングステイに関してお話を聞かせていただきました。

同倶楽部の会員は約40人で、例会では政治の話より、バンコクでの実際の暮らしで役立つ実用的な情報の提供を心がけています。ビザや保険といったロングステイヤーの関心の高いテーマの時は、例会の参加者が増えるようです。

小林代表はタイのロングステイヤーは大まかに4つのタイプに分けることができると説明してくれました。

①退職後に夫婦で第二の人生を過ごす先としてタイを選択した方。
②以前からタイが好きでよく遊びに来ていて、退職後タイでロングステイをする人。
③仕事でタイに駐在し、そのまま、もしくは一度日本へ帰ったのち、タイに戻ってくる方。小林代表はこのタイプと言います。④タイで仕事している子供に呼ばれてタイに来る方。同居されている方もいれば、別居している方もいます。
以前から海外でのんびり暮らしたいと考えていた林夫妻は①のタイプで、最初はマレーシアのペナン島に滞在しましたが、あまり気に入らず下見もせずにタイへ来てしまったという行動力抜群のご夫婦で在タイ4年目。趣味は旅行でバンコクは地理的に東南アジアのハブなので、旅行好きには大変便利で気に入っているそうです。バンコク・ロングステイ日本人倶楽部では小旅行や食事会を企画・運営したり、カラオケ同好会で仲間との交流を楽しんでいます。

ゴルフ同好会と吞み会同好会をとりまとめている岸本さんは、退職後タイでロングステイを始める前から、タイには日本から何度も遊びに来ており、タイの様子はだいたいわかっていたので②のタイプです。2年前バンコクでロングステイを始めましたが、その時、もし為替レートが今の状況だったら来なかったかもしれないと言います。

昨年からの急激な円安は、日本からの年金が収入源のロングステイヤーには深刻で、レートが良かった時を知っていると、なおさら辛く感じると言います。岸本さんは普段の買い物では、ビッグCのプロモーションを上手に利用するなど工夫して節約されているそうです。

外食やゴルフの回数を減らす人も増えているようですが、円安で在タイ費用が3割アップし、少ない年金だけの人は生活レベルを下げざるを得ない状況で、実際に住居を変えるとか検討中の人もいるようです。

ロングステイビザ取得のためのタイで80万バーツの預金、あるいは毎月の年金額が6万5千バーツ以上という条件は、円安によりどんどんハードルが高くなっており、日本からの年金が頼りのロングステイヤーからは、状況に応じた条件の見直しが切望されています。

また小林代表は、日本がタイ人の短期滞在のビザを緩和したことにより、日本へのタイ人観光客が激増し、両国の文化交流や相互理解に大変貢献している様に、ロングステイを通じても同じ事が出来るはずと言います。しかし現在のビザの規定では活動できる範囲が狭すぎるので、ボランティア的な社会貢献が出来るよう、制限付きでかまわないので、活動の縛りを今より少し緩和して欲しいと言います。

最近はインターネットで簡単に情報が手に入るようになり、また通信機器の発達で孤独を感じにくくなったためか、バンコク・ロングステイ日本人倶楽部の会員は若干減少傾向にあるそうですが、今後も生活に役立つ生きた情報交換の場として、入会したメリットの感じられる魅力ある倶楽部に育てていきたいと小林代表は話されました。情報だけでなく、いろいろな人生を歩んできた人たちとの交流から得られる刺激は、この様なグループに参加する大きなメリットでしょう。

退職後、ましてや異国の地で新しい仲間との出会いは、個人ではそう多くは望めません。それぞれのグループが、違う日に例会を行っているので、まず気軽に例会に参加してみてはいかがでしょうか。

2015年1月20日 タイ自由ランド掲載

 

バンコクのこれからの賃貸マーケット、コンドミニアムへの投資について

バンコクのこれからの賃貸マーケット、コンドミニアムへの投資について

日本人のロングステイヤーにとって、東南アジアで住みたい国の№1がマレーシアで、第2位がタイということらしいですが、最近、HSBCが世界中のエクスパット(海外居住者)に対して調査した2014 Expat Explorer Surveyによると、タイの総合人気は東南アジアの中でシンガポールについで第2位、また、コストを抑えて生活水準を上げる(Improved Lifestyle at a Low Cost)ことができる国という視点では世界№1ということです。つまり、物価が安いので、その分可処分所得が増え、より高いQOL(Quality of Life)が実現できるという点で人気№1なのだそうです。従ってこれからも外国人エクスパットは増え続けるだろうと思います。

 

ところで、バンコクでワークパミット(労働許可証)を持つエクスパット数は現在7万4千人で、これは1年前に比べて7%増加したとのことです。バンコクではこれだけたくさんの外国人を見かけるのに、正式な就業者はわずか7万4千人しかいないのか、と意外に思ったのですが、タイ政府が発表している数字なので間違いないのでしょう。

ただ、巷では、日本人だけで10万人がバンコクに住むと言われているし、欧米人を始め、他のアジア人も多く住む国際都市でありながら、正式な外国人就労者はわずか7万4千人と言われると結構違和感があるものです。結局のところ、外国人観光客と、働く必要のない富裕層外国人ロングステイヤーが相当数居るということだろうと思います。本来、エクスパットの定義は海外居住者なので、企業駐在員だけでなく、こういった富裕層のロングステイヤーも含まれ、バンコクのエクスパット全体の数は何十万人ということになると思いますが。

さて、CBRE(シービーリチャードエリス)タイランドの最近のレポートで、バンコクのこれからの賃貸マーケットについて、次のような興味深い予測がありました。

「現在工事中のバンコク・ダウンタウンにあるコンドミニアムのうち、70%が1ベッドルームかスタジオルームであり、一方で、2ベッドルームと3ベッドルームに対する需要が大きく、CBREの賃貸仲介部門が成約した75%の仲介が2ベッドルーム以上のユニットである。今のところ、まだ家賃は上昇し始めていないが、空室率は年々下がりつつあり、古い中古物件であってもリノベーションしてきれいになった物件は入居の順番待ちができるほどである。そして、これからも2ベッド、3ベッドルームの需要は増加し続け、やがて供給を上回ることになる。そして、最終的には、この25年間上昇していなかった家賃相場が上昇を始めることになるだろう」

CBREの賃貸仲介部門は、主に欧米諸国から来たエクスパットがバンコクで賃貸住宅を探す際の仲介をしているのですが、実に彼らの75%が2ベッドルーム以上の部屋を借りているということです。

そして、CBREは更にこういうコメントもしています。
「バンコクのダウンタウンで家賃が月額2万バーツ以上の賃貸物件に住む賃借人の9割以上がエクスパットである。そして彼らはスクンビットのソイ1~63、2~42、サートン、セントラル・ルンピニに好んで住む」

つまり、ダウンタウンの中でも次の図のオレンジ(サトーン)、ブラウン(セントラル・ルンピニ)、グレー(スクンビットBTSプラカノーンまで)エリアに集中して住んでいるということです。

従って、これから日本人投資家がバンコクで不動産投資をする場合、次のことを把握しておけば、空室リスクを最小限にした中長期投資の戦略として、何をすべきかおのずと答えが出てくると思います。
1.生活水準という意味でのQOLが高い点で、タイはエクスパットの人気№1の国であり、今後もエクスパットは増え続ける。そして、彼らの多くは可処分所得が高く経済的余裕がある
2.バンコクのダウンタウンで家賃2万バーツ以上の賃貸物件に住んでいる人の9割以上がエクスパット
3.エクスパットは家族連れも多く、大半が2ベッドや3ベッドルームの賃貸物件に住むのに、マーケットでは広めの物件が不足している
4.エクスパットはスクンビットのソイ1~63、2~42、サートン、セントラル・ルンピニに好んで住む、ということは同じダウンタウンであってもエクスパットがあまり住まないエリアもある。

下の広告も参照で。

2015年1月20日 タイ自由ランド掲載

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海外での資産投資の広告

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Untitled-1 そのタイ人、スパチャイと出会ったのは、留学しているタイ人のグループが集まる場であった。東京学芸大に入って1年の秋ごろ、高校からの友人が誘ってくれたのだ。

それから、明大に通うスパチャイと日本語を教えたり、あるいはタイ語を教えてもらったりと、付き合いが始まる。そしてタイへの興味も徐々にわいてきた。

川満は、将来は教員になる、というしっかりした目標があり、アルバイトでも小学生の家庭教師などもしていた。しかし、スパチャイは、アルバイトもせず、仕送りだけで暮らしているようだった。中国系の顔立ちで「この人の家はきっと裕福なんだろうなあ」と思っていた。

大学2年の時、早くも求婚されたが、それぞれ家に帰って相談すると、どちらの両親も猛反対した。スパチャイの母は「長男には同じ中国系に」という譲れない線があった。一方、川満の両親は「そんな、南方の象が歩いている、よくわからないところに娘を行かすわけにはいかない」との理由だった。

それからお互い、両親を説得させるべく、徐々にひもをとくようにお互いの説明から始めた。スパチャイの親戚なども日本にやって来て、両親とも会うようになった。彼の妹とも文通し、交流を深めた。

川満は生粋の江戸っ子だが、兄弟も多く、まん中の子どもであったので、「教員という道ではなくて、タイに行くというのもあるのかな」と思うようにはなっていた。

そして、卒業と同時に日本で入籍し、そのままからだ1つでタイにやって来た。ただ、深くは考えず、タイと日本を行ったり来たり、というように考えていた。

生まれて始めてのタイ。1968年のことだった。空港に降り立つと、ムッとした熱気に包まれ、そして30人ほどの出迎えがあり、びっくりした。スパチャイの父は当時、バンコクの4ヵ所ほどでホテル経営をしていて、タイに渡った海南系の華僑として、成功している人だった。そのホテルの1つがスクムビットのソイ1にあり、そこに住むようになった。

連日、あいさつ回りをしたり、観光に行ったりという生活で、料理もしない、そうじもしない、そして仕事もしない・・・・。裕福な家庭環境のため、何もしなくてもよかった。

日比谷高校の時から生徒会などで活発に動き回る川満は、もの足りない。タイでも仕事をしたい。もっと自分にとっての生きがいを見つけたい。そう思うと、徐々にホームシックにかかっていた。

そんな時、スパチャイとの出会いを演出してくれた高校の時からの友人が、先にタイ人の警察官僚と結婚していて、タイに住んでいた。その彼女が働いているバンコク日本人商工会議所が、サトン通りの今のバーン・カニタのところに当時あり、日本人会もそこにあって、そこでアルバイトを募集していた。1ヵ月の短期ということで採用された。ちょうど、婦人部でチェンマイに旅行に行く機会があり、若かった川満も連れて行ってもらった。そのチェンマイ旅行の文章をのちに提出すると、「編集員になりなさい」という声がかかり、大学のときに新聞部に所属していて、

 

店主物語り ⑥教員の道ではなく、タイに行くというのも・・・

店主物語り ⑥教員の道ではなく、タイに行くというのも・・・

 

手書きの文字作成等にも慣れていたため、当時、クルンテープの編集員だった山本みどりから「手伝ってよ」と声もかかった。

そして、トントン拍子に日本人会の事務局に正式採用され、仕事の場を見つけた。

普通、タイで華僑と結婚する日本人女性は、しきたりが大変、仕事もさせてもらえない、などの声を聞くが、川満はその点、めぐまれていた。海南系の華僑はサービス業を展開している人も多く、「仕事も自由にやりなさい」という理解があった。

スパチャイは大手の日系メーカーに勤めたが、5年ほどたって、独立の気持ちが湧いてきて、友人に技術者がいたこともあり、部品の鋳造の会社を立ち上げ、サムローンに土地を買い、工場も建てた。

しかし、製造する部品を買い取ってもらおうと、日系メーカーと交渉しても、なかなか取り引きしてもらえない。現地の技術者がつくったものは・・・という反応だった。川満も日本人会に働くかたわら、日系メーカーへ営業をかけた。また、スパチャイの父も、軌道に乗るように奔走した。

しかし、資金繰りがたいへんで、その心労も重なり、父の体調が悪くなり、2週間のちに亡くなった。

それで、事業はやめて、長男のスパチャイは、ホテル事業のあとを継ぐことになったが、当時、親せきなども中国から呼び寄せて同族経営をしていたため、年長者の意見を尊重し、「プリンス・ホテル」の経営はその年長者がやることになった。

プリンス・ホテルは何を隠そう、川満がタイに降り立った当時には真新しいホテルで、エラワンホテルやラマホテルとともに草分け的な存在でもあった。一時期は、アメリカ政府が借り切ったこともあり、そのクラシック・モダンな面影も今、まだ残っている。

さて、その後、日系企業も活発に進出し、黄金期とも言える時代だった。川満も会員が増えるように企画をどんどん出し、クルンテープの発行にも力を入れた。その効果もあって日本人会の会員は45度の角度で増えていった。

すでに川満は事務局長になる十分な実績はあったが、いきなり「女性の…?」という反対を避けるため、局長代行という形をとった。そののち、正式に事務局長になったのは1990年のことだ。

活発な川満は、局長の仕事とともにみずからの経験をいかして、「国際結婚友の会」をつくり、タイ人と結婚した日本人女性のための組織をつくった。日本行きのビザ取りで大使館と交渉し、並ばなくても取得できるようにしたときには100人以上の会員にふくれ上がった時期もある。

局長になっても、江戸っ子気質の気さくな性格で、「人との出会い」を大切にする人だった。そして2001年退職し、と同時にタイ・ロングステイ日本人の会を立ち上げた。タイにロングステイの日本人を!というタイ政府の政策に沿って、定年した日本人が来タイし、その数は徐々に増えていたころだ。同時に、ビザの申請代行で法外なお金をとられた、郊外に何百万バーツの家を買わされた、などの被害が出ていて、そういった人の連絡網としても活用できるよう、川満は考えたのだ。

今は、それらの会の理事になっているほか、日本人会の懇話会の理事にもな り、また、生け花関連の理事にもなり、「人との出会いを大切にし、楽しく人生を送りながら」をモットーに毎日、動き回っている。

あと1つ、やりたいなと漠然に思うのは、タイで生まれた日本人ハーフの子どもたちがまとまって、それらの意見を吸い上げられるような組織をつくれないかな、と思っている。それは自分の子どもにもあてはまることだからだ。

一方、すでにプリンスホテルの経営はスパチャイがしきっているが、そのサポートとして川満も経営の一旦を担っている。

改装をして値段も上げて…、日本料理も出して…などと自分の考えは持っているが、「こういうアットホームなホテルがあってもいい」となかなかスパチャイは動かない。エアポートリンクのマッカサン駅がオープンされると、タクシーなら3分ほどの距離のため、注目される場所ではあるが、川満が降り立ってから40年以上、プリンス・ホテルもその風格あるたたずまいを今に伝えている。(敬称略)

2010年8月20日 タイ自由ランド掲載

店主物語り①
店主物語り②
店主物語り③
店主物語り④
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店主物語り⑦
店主物語り⑧
店主物語り⑨
店主物語り⑩
店主物語り⑪

 

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店主物語り ⑥教員の道ではなく、タイに行くというのも・・・

店主物語り ⑥教員の道ではなく、タイに行くというのも・・・

 

タイでロングステイしている日本人は多いが、何か趣味を見つけて、コツコツと自分なりにタイで生活している人もいる。

徳原さんは60歳なかばだが、タイには14年いる。10年ほど前からタイ語、日本語の辞典を自分なりにつくり、そのセンテンスは58559にもなった。本人はタイ語が達者なわけではなく、日本語での読み方、意味、タイ語の文字などを入力していき、エクセル内で検索できるようにしている。

「グーグルのタイ‐日翻訳も最近はよくなっていますが、ちょっと難しい文章になるとまったくダメですね」と笑う。

京都府警のエンジニアとして31年、公務員として働いた。「病気もあったけど、システムを組む仕事は厳しい」と50歳で退職し、すぐにタイに来た。

タイでは海のそばのバンセンに住居を借り住んでいる。「近所のしがらみがなく、気楽に生活できるのがよい」と、タイ在住14年にもなる。

日本ではストレスから来る病気など、胃潰瘍、大腸炎、不整脈、胆のうなどがタイに来て自然に治ったといい、「日本に住所がないので、病気には気をつけています」と笑う。

本格的にタイ語、日本語をパソコンに入力し始めたのは、タイの生活が4年ほどたってから。それからはコツコツと、辞典で拾ったタイ文字などを入力していく。

タイ語がわからない人も日本語の一発検索でずらりとタイ語が出てくる。その読み方は日本語だ。病気に関するタイ語が充実しているのも自慢だ。

「まだ入力したい本が5~6冊はある」といい、辞典なら1ページ分入力するのに1時間はかかる。

エクセル内で動かしているので、バージョンアップに対応するのもひと苦労だ。「今は2013年のエクセルでも動くようにしています」という。

希望する人にはデータをあげているといい、徳原さんへの連絡先は℡086-087-9712、メールは tokuhara9@hotmail.com まで。

2014年9月20日 タイ自由ランド掲載

 

ロングステイする日本人が、病院に入って治療費の高額請求をされたと、友人2人がタイ自由ランド編集部にやって来た。

訴える先は編集部ではないはずだが、話を聞いてみると、1ヵ月間で275万バーツにのぼるという。スゴイ額だ。

70歳と高齢だが、入院する前は友人2人と、ソイ26の多緒で酒を飲んでいて、普通に生活していたという。その後、足がかゆくなり、痛みも伴ったため、病院に行き、そのまま入院し手術したという。

ちょうどエボラ出血熱のニュースが世界をかけめぐっている最中だったので、命にかかわる、と手術をして、何とか助かったと考えれば、安いものなのかも知れない。

しかし、すべて完治したわけではなく、日本に移動して引き続き治療するということになり、ベッドで寝ているままの移送になるという。そうなると付き添いの人や、飛行機費用など100万バーツは飛んでいくかも知れない。

タイの病院では、手術する際は、その費用がちゃんとあるかどうか確認してから作業に入るので、おそらくは、その確認も取れているだろうし、本人のサインもあるのだろう。

タイに10年も滞在していた人だから、そのあたりの状況はわかっているだろう。

治療費が高額かどうかというのは、まず治療費を見積もってもらい、その費用を払えないなら、もっと安い病院に移るのがよいのだろう。

スクムビットでは、クルアイ・ナムタイ病院やスクムビット病院、カミリアン病院などもある。

あるいは手術とわかった時点で、さっさと日本に一時帰国するのが得策だろう。日本でなら保険は使えるし、タイでの何分の一かの治療費で済むはずだ。

そのほか、タイでの医療保険に入っておく、というのはあるが、70歳まで、というのが一般的で、それを越えると入るのが難しい。

病院に行って即入院、その日に手術、となればそういった判断をするヒマもないが、高齢者の人はそういうことが自分にも起こりうるとして、タイでどのように対処するのかを想定しておくことも必要だろう。

 

2014年9月5日 タイ自由ランド掲載

グーグル検索で「タイ、ソンクラー」で見てみると、1番にヒットするのがコボリさん。そのコボリさんにまた話を聞いたのでここで取り上げてみたい。

タイの最南端、ソンクラーに住んで4年。小さな町で他に日本人は見かけないが最近、日本語の教師をする日本人とニアミスしたという。

朝起きるのは午前4時半。まだ暗いうちだが5時ごろにアパートから、ビーチに向かって歩き出す。ビーチをジョギング、エクササイズ。6時ごろの朝日を見て、アパートに戻り朝食。トースト、コーヒー、あるいはおかゆをつくることもある。

午前中はインターネットでニュースを見たり、そうじ、洗たくをして過ごす。

午前11時ごろ、アパートから15分ほどの行きつけの食堂に行き、2種のおかずをのせるごはんが30バーツ。続いて、こちらも行きつけのオープンエアの簡易のコーヒー屋さん。ここで読書をしながら2時間ほどねばる。

移動はいつも自転車を利用。夕方はスーパーや市場で買い物し、午後4時ごろ帰宅。ユーチューブなどを見て午後6時ごろ夕飯。カレーライスが好きだから、それを自分でつくる。そのほか、うどんやラーメン、スパゲティーなど、日本の食材はハジャイのトップスまで行けばある。ネットでレシピを見てそれにならってつくる。

その後、ワインやビールを少し飲み9時半ごろ就寝。

1日の出費は約360バーツ。ビールやタバコをやらなければ、もう少し安くなるという。アパート代は別。62歳になり、すでに減額の年金はもらっており、それと貯蓄の利息分で十分に暮らしていける。

ソンクラーは小さな町で、安全に暮らしていけるのが何よりで、近所に知り合いもでき、何かあったときは助けてくれるんじゃないかと思う。

ただ、4、5月のタイ南部はとても暑い。この暑さはからだにこたえる。そのため、北部のチェンライ方面に引越しすることも考えているという。

2014年9月5日 タイ自由ランド掲載

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軍事政権により、公務員へのワイロ等も厳しく取り締まる方向にあり、外国人に対する長期ビザに関しても、局長の交代により、8月29日にワイロ等が一切、使えなくなる方向です。

対象はロングステイビザ、結婚ビザ、子どもの養育ビザなど。

これまで、預金が80万バーツに満たない、40万バーツに満たないなどで、1年更新されてきた人は、8月29日以降、更新できない見込みです。

そのため、今年中に1年ビザが切れる人に関して、かけ込みで、今から8月29日までに更新ができますため、今年12月までにビザが切れる人で、預金が達していない人は、タイ自由ランド事業部までご連絡ください。電話等は081-566-9015 あるいは 02-258-0888

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日本人が多く住むスクムビットのアソーク~オンヌット界隈に、最近簡易のホテルや宿泊施設が生まれてきている。特にBTSの駅の近くなどの便利な場所に集中している。

例えばトンロー駅から4分程のHIホステルは、世界に展開しているホステルで、会員でなくても泊まれるが会員だと10%引き。ドミトリーは一泊350バーツで、全室エアコン付き。ソイ38の夜の屋台街を受けたところにあり、そこに泊まる外国人が夜に、屋台街で食べるのが定番になっている。

受付に聞いたところ欧米人がほとんどで、訪れた日に日本人は一人も泊まっていなかった。ドミトリー以外に個室(800B~)もある。

プロンポン駅に近いソイ28にあるMHCゲストハウスは、古いタウンハウスを改装しているので、お世辞にもきれいな外観と言えないが、中に入ってみると予想に反して満室。シングルルームは750バーツ。元パイロットという初老の英国人オーナーは気さくで、家庭的なプチホテルという感じ。欧米人のリピーターがいるが、エレベーターが無いため、バックパックを持って上がるのが大変。

一方、トンロー駅前にあるウッドボールの隣にあるパディ・マディ・ゲストハウスは、1000バーツ以下という安価で、WIFI、冷蔵庫、セイフティボックスなど基本的な設備が整っている。同じ建物にピンク・ゲストハウスという別の宿がある。

スクムビット界隈でも、もちろん1500~3000バーツ以上の、いわゆるプチホテルから高級ホテルは揃っているが、こういう1000バーツ以下のホテルや宿泊施設が出来ているのが目新しい。

インターネットで予約を募り、欧米人などが利用するケースが多い。駅から近いので結構どこも人気がある。こうしたリーズナブルな宿は、以前はカオサンロード界隈のバックパッカーの聖地といえる場所に密集していた。今でも健在だが、ネットで客を募れるので、別にカオサンでなくてもよく、リーズナブルな宿泊場所は拡散し、多様化しているともいえるだろう。

タイではホテルを開業する場合、許可が必要でこれが小規模の業者では難しい。そのためホテルという名称でなく、ゲストハウスなどとして営業している。

さらに日本人向けのサービスアパートなども、週単位、月単位だけでなく一泊○○○バーツなどと提示し、ホテル業を行っており、競争は激しい。

日本人が満足できるレベルということになると、例えばスクムビットソイ41入口からすぐで、スーパーマーケット「トップス」の裏にある「チェックイン」。プロンポン駅から徒歩4分と近く、部屋はこじんまりとしているが、どの部屋にもミニキッチン、クローゼット、大型の液晶テレビが付いていて長期滞在者や、ビジネスでの滞在に利用する人も多い。朝食付きで1500バーツ。タイ自由ランドを持参で20%オフになる(18ページ参照)。

一泊1500バーツ以下の宿は、多少難があっても、そこは値段相応と割り切るしかないが、大型ホテルにはない家庭的なサービスや、隠れ家的な落ち着いた雰囲気が魅力的なところもあり、気に入って定宿にしている人も多い。ホームページを見ると、定期的にプロモーションを行っているところも多いので、上手に使えばさらに格安で泊まることができる。

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2014年1月20日 タイ自由ランド掲載

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タイでロングステイをする日本人は多いが、定年退職後にタイにやってくる人は退職金をくずし、65歳から年金がもらえるので、それから悠々自適に暮らす、というパターンが一般的だろう。年金がもらえる時期になって、一念発起して起業する人は、ちょっと無謀にうつるが、日本で定年退職後、バンコクで起業し、日本語教師として奮闘する永野嶺夫さん(66歳)はそんな人だ。今年5月に、オンヌットのソイ81にタイ人向けの日本語学校を開き、自ら日本語を教えている。 

永野さんは、日本では、地元福岡の公立高校で30年以上、社会科の教師をしていた。60歳の定年退職を機に、日本語教師に転職。地元の日本語学校で3年間働いた後、来タイ。今度はタイの学校の日本語専攻で2年間教鞭をとり、その後、独立して現在の教室を開く。教室は、住まいのあるコンドミニアムの1階のスペースを借りて、私塾のようなこじんまりした場所でタイ人に日本語を教えている。

30年以上、学校の先生をした永野さんは、どうして経験のない日本語教師にトライしたのか?
もともと、いろんな国を旅行したことはあったが、定年退職後に、次は海外で働こうと思いついたのは、3人いる息子達の影響が強かった。

長男はアフリカのタンザニアで働いていて、三男は料理の修行でフランスにいたことがあった。そして、次男は大学時代に知り合ったタイ人女性と結婚し、10年以上タイに住んでいる。

海外に住んで働くなんて、自分が若かった時代にそう簡単にできることではなかった。息子達に対して、うらやましさのようなものもあり「次は自分の番だ」と、次男の住むタイで働くことを決めた。

日本の高校で教えていたのは社会だったが、それとは別に日本語教師の資格も持っていた。資格を取ったのは10年以上も前で、「日本語教師」という職業を知ったのも次男がきっかけだった。

次男が現在のタイ人の妻と出会った頃、彼女はタイの大学で日本語を専攻している学生だった。タイの大学には、日本語を教える日本人の先生がいる。それを聞いて、興味を持ち、資格を取るための試験勉強を始めた。

外国人に日本語を教えるという特殊な内容で、最初は問題がまったく理解できなかった。試験の合格率も全体の2割ほどで、1回目は不合格。2回目に合格した。
そして、定年退職を迎える際、社会の講師としてまたどこかに就職する選択肢もあったが「次はなにか違うことをしてみたい」と、福岡の日本語学校に就職する。

最初に勤めた福岡の日本語学校は、中国から来た留学生を日本の大学に入学できるようサポートする学校だった。当然ながら、日本人とは気質も習慣も全く違い、その違いが面白かった。まわりとうまく協調していこうとする日本人とは反対に、常に自分のことを最優先に考える中国人。平気でカンニングをする生徒もたくさんいて、「みっともない、恥ずかしい」という気持ちを持っていないことに驚いたという。

そして、現在のタイ人の生徒は高校生から40代までいて、一から日本語を始める生徒もいれば、すでに会社で通訳として活躍しているレベルの生徒もいる。

生徒集めは、近所やBTSの駅で自分でビラ配りをしていて、すでに1万5千部ほど配った。タイ人の日本語に対する関心は高く、半分以上がビラを受け取ってくれて、中にはもらいそびれて、戻ってくる人もいる。私塾のため、授業料も大手の日本語学校に比べると3分の1くらいで、一度にたくさんの生徒が集まったこともあった。しかし、初日の「あいうえお」を学んだだけで、難しいとギブアップし、次から来なくなってしまった生徒も山ほどいる。日本語に関する仕事をしていたり、大学の日本語学科に入りたいなど、特別なモチベーションがある生徒がだけが残る。今後は、なんとなく関心のあるだけの生徒をどうやって長続きさせるか頭を悩ませているという。

授業は平日は夕方から夜まで、土日は朝から夜まで開講している。まとまった休みがとれる時は、タイの地方に小旅行に行くこともあり、すでにチェンマイやアユタヤ、スコータイを訪れた。タイ料理はなかなか口に合わないそうで、普段は、日本から一緒に来た奥さんが料理を作ってくれたり、外食も多いが、ほとんどが日本食という。サムットプラカーンに住む息子も週に1回ほど会いに来てくれて、その日は一緒に酒を飲んだりもする。

30年以上も教員を続け、退職後も違う分野で再び教師として奮闘する永野さんだが、実は、高校を卒業してから教員になるまで、紆余曲折の10年間があった。まわりから見れば地に足がついていないようで、友人に「根なし草」と言われたほどだ。

福岡の工業高校を卒業した永野さんは、その後東京の電気部品メーカーに就職が決まる。そこでは3年間働くことになるが、その間に社員が労働組合を結成し、会社側ともめたことがあった。

しかし、当時の永野さんは、何が問題なのだろうと状況が全くつかめない。そんな自分の無知に気づくことが多々あった。それから暇をみつけては本を読むようになり、仕事と並行して短大の夜間部に通ったりもした。 
 

だんだん、もっと本を読みたい、世の中のことを知りたいという気持ちが大きくなり、1日の8時間を仕事に使ってしまうのがもったいなく感じるようになった。そして、上司に反対されながらも電気部品メーカーを退職をする。

その後は、牛乳配達と非常勤講師の仕事をしたり、その合間に本を読んだりしながら、今度は大学進学を考えるようになる。退職してから1年半後、今度は新聞配達の仕事を始め、それと並行して受験勉強を始める。

その頃、第二次安保闘争が激しかった時代で、同じ新聞配達の同僚の活動家が会社から解雇を言い渡されたことがあった。解雇を不当だと考えた永野さんは、過去に電気メーカーに就職していた頃は傍で見ていた労働組合を同僚とともに結成し、会社側に働きかけたことがあった。見事同僚の解雇は取り消されたが、落ち着いた頃には、受験まで2か月をきっていた。東京は離れたい、でも今の状況で地元に帰るのも気が引けると、旅行で訪れて気に入っていた金沢大学を受験し、見事合格。23歳でようやく、大学1年生を迎える。

大学に入った後も次々と人生の転機となることが起きた。大学に入ってから1年が過ぎようとしていたころ、現在の奥さんと知り合い、翌年には結婚。そして、そのまた翌年には長男を設け、貧しい新婚生活と学生生活が続く。ようやく大学を卒業するころは、息子が2歳になっていた。

自分の性格を一言でいうと「無鉄砲」と言う永野さん。息子達もみんな自分に似てしまったと笑う。しかし、遠回りしたとしても、常に自分のしたいことをするのが一番で、全てのことに後悔はないと語る。

若い頃から、自分の気持ちに正直に生きてきて、現在もタイで新たな道に挑戦する永野さん。今後、タイでは体が健康な限り日本語教師を続けていきたいとのことで、知り合いに日本語を勉強したいタイ人がいたら、ぜひ、永野さんの日本語学校までどうぞ。

2013年12月5日 タイ自由ランド掲載